スポンサーサイト
汐取り行事が行われます。
9月11日に神埼市歴史まちづくり遺産に登録されている『汐取り行事』が行われます。
詳しい日程や場所等は、以下よりご覧ください。
右側の 『かんざきデジタルミュージアム かんざき@NAVI』の バナーよりご確認ください。
詳しい日程や場所等は、以下よりご覧ください。
右側の 『かんざきデジタルミュージアム かんざき@NAVI』の バナーよりご確認ください。
鹿路神社の百手祭が行われます。
神埼市脊振町鹿路の鹿路神社で平成28年2月8日月曜日 午前11時頃より、百手祭が行われます。
この百手祭は、神埼市歴史まちづくり登録遺産に登録された伝統行事で、年占いの的射行事です。
写真は、昨年の様子です。


この百手祭は、神埼市歴史まちづくり登録遺産に登録された伝統行事で、年占いの的射行事です。
写真は、昨年の様子です。
鳥羽院古釜の百手祭
平成27年4月19日に神埼市脊振町鳥羽院の古釜地区に伝わる百手祭が行われました。古釜地区の百手祭は、準備と直会が公民館で、的射ちが後鳥羽神社で行われました。
13時頃から公民館に人が集まり、男性は的・弓矢を作り、女性はお供え物と直会の準備が始まります。

的は、竹を細切りにして六角形に編んで作ります。六角形が出来上がると、表に糊で和紙を貼り付け、三日月が描かれた紙を貼り、裏に鬼と書かれた紙を貼り付けます。
弓は、カシの木を適当な長さに切り、針金の弦を張ります。矢は、先を尖らせず、和紙の羽を付けます。
お供え物は、大根を花弁の形に切った花大根、シトギ、里芋を使ったいもんかん、塩サバ3匹などがあります。
準備が済むと後鳥羽神社に向かいます。


まず、境内でお供え物の塩サバ3匹を焼きます。
そして、いい焼き具合になると拝殿に移り、的・弓矢・お供え物を供えてお謡いがあげられます。、その後、お供え物の御神酒・塩サバ・いもんかん・シトギ・豆と塩と花大根・ごっくうさんが振る舞われます。


食べ終えると、境内で男性のみ三本の矢を射ります。最後の人が終ると矢は境内の大岩の上へ放ち、弓は折って大岩の上へ投げ上げます。的はそのままです。


その後、公民館で直会が行われ、山菜炊き込みご飯・ワラビや竹の子の煮物・ごぼうの酢漬け・おこもじ・味噌汁など季節の山菜料理が並びます。
13時頃から公民館に人が集まり、男性は的・弓矢を作り、女性はお供え物と直会の準備が始まります。

的は、竹を細切りにして六角形に編んで作ります。六角形が出来上がると、表に糊で和紙を貼り付け、三日月が描かれた紙を貼り、裏に鬼と書かれた紙を貼り付けます。
弓は、カシの木を適当な長さに切り、針金の弦を張ります。矢は、先を尖らせず、和紙の羽を付けます。
お供え物は、大根を花弁の形に切った花大根、シトギ、里芋を使ったいもんかん、塩サバ3匹などがあります。
準備が済むと後鳥羽神社に向かいます。


まず、境内でお供え物の塩サバ3匹を焼きます。
そして、いい焼き具合になると拝殿に移り、的・弓矢・お供え物を供えてお謡いがあげられます。、その後、お供え物の御神酒・塩サバ・いもんかん・シトギ・豆と塩と花大根・ごっくうさんが振る舞われます。


食べ終えると、境内で男性のみ三本の矢を射ります。最後の人が終ると矢は境内の大岩の上へ放ち、弓は折って大岩の上へ投げ上げます。的はそのままです。


その後、公民館で直会が行われ、山菜炊き込みご飯・ワラビや竹の子の煮物・ごぼうの酢漬け・おこもじ・味噌汁など季節の山菜料理が並びます。
志波屋の千燈籠が行われました。
神埼町志波屋に伝承されています、千燈籠が8月18日と8月24日に行われました。
志波屋地区の千燈籠は、上志波屋地区と下志波屋地区に分かれ、男の子の行事として長く受け継がれています。
8月18日は、上志波屋の千燈籠で、真龍寺境内に祀られている観音堂(船石観音)で行われます。

8月24日は、下志波屋の千燈籠で、県道南にある選果場の北東部に祀られている地蔵堂で行われます。

お昼過ぎから子供たちにより観音堂・地蔵堂の清掃や提灯の準備・飾りつけが行われ、お母さんたちがお参りに来られる方への豆を炊射て、子供たちが袋に詰める作業を行います。
夕方になると、地域の方たちがお参りに来られ、豆を求められていました。
準備した豆がなくなるまで、お参りにこられた方への対応や花火などをして、長く受け継がれてきた地域の伝統を受け継いでいました。




下志波屋の千燈籠は、生憎の雨もようで、建物の軒先で雨をよけて行われていました。天気が良ければ、お堂前にたくさんの提灯が飾られます。


志波屋地区の千燈籠は、上志波屋地区と下志波屋地区に分かれ、男の子の行事として長く受け継がれています。
8月18日は、上志波屋の千燈籠で、真龍寺境内に祀られている観音堂(船石観音)で行われます。
8月24日は、下志波屋の千燈籠で、県道南にある選果場の北東部に祀られている地蔵堂で行われます。
お昼過ぎから子供たちにより観音堂・地蔵堂の清掃や提灯の準備・飾りつけが行われ、お母さんたちがお参りに来られる方への豆を炊射て、子供たちが袋に詰める作業を行います。
夕方になると、地域の方たちがお参りに来られ、豆を求められていました。
準備した豆がなくなるまで、お参りにこられた方への対応や花火などをして、長く受け継がれてきた地域の伝統を受け継いでいました。
下志波屋の千燈籠は、生憎の雨もようで、建物の軒先で雨をよけて行われていました。天気が良ければ、お堂前にたくさんの提灯が飾られます。
香椎神社の午年祭
千代田町餘江の香椎神社で12年毎の午年に行われる午年祭がありました。
肥前風土記に記される「琴木の岡」の伝承地と伝える香椎神社で、4月20日日曜日に御神体を移す遷座式と4月27日(日)にご神体を神殿に戻す午年祭が行われました。
遷座式は、若宮神社の宮司により遷座のための神事が執り行われ、午後より社務所において地区の女性の方たちで御神体である神宮皇后の衣が新調されました。新しい衣は、独身の女性が縫う仕来りで、今回はあ3名の小学生から高校生の子供たちがおばあちゃん・お母さんの指導のもと縫い上げていきます。
古い衣は、地区住民の方に小さく切り分けられお守りに入れて安産のお守りとして配布されます。











4月27日(日)に餘江地区・川崎地区により12年毎の午年に行われる「午年祭」が開催されました。
若宮神社と冠者神社の宮司により午年祭の神事が執り行われ、ご神体が納められました。
神事の後は、境内で直会です。



12年毎の午年に行われる式年遷宮である「香椎神社の午年祭」は、地区住民により工夫され受け継がれています。
肥前風土記に記される「琴木の岡」の伝承地と伝える香椎神社で、4月20日日曜日に御神体を移す遷座式と4月27日(日)にご神体を神殿に戻す午年祭が行われました。
遷座式は、若宮神社の宮司により遷座のための神事が執り行われ、午後より社務所において地区の女性の方たちで御神体である神宮皇后の衣が新調されました。新しい衣は、独身の女性が縫う仕来りで、今回はあ3名の小学生から高校生の子供たちがおばあちゃん・お母さんの指導のもと縫い上げていきます。
古い衣は、地区住民の方に小さく切り分けられお守りに入れて安産のお守りとして配布されます。











4月27日(日)に餘江地区・川崎地区により12年毎の午年に行われる「午年祭」が開催されました。
若宮神社と冠者神社の宮司により午年祭の神事が執り行われ、ご神体が納められました。
神事の後は、境内で直会です。



12年毎の午年に行われる式年遷宮である「香椎神社の午年祭」は、地区住民により工夫され受け継がれています。
鹿路地区の「いずみさんつぎ」
今年も、脊振町鹿路の「いずみさんつぎ」に行ってきました。
今年は、酒があめ色になり、カビは少ないようです。おそらく湿気の関係だろうとのことでした。
今年の状況です。

平成12年の結果です。

平成11年の結果です。

平成10年の結果です。

今年は、酒があめ色になり、カビは少ないようです。おそらく湿気の関係だろうとのことでした。
今年の状況です。
平成12年の結果です。
平成11年の結果です。
平成10年の結果です。
鳥羽院 後鳥羽上皇命日祭
2月22日、後鳥羽神社で行われた、後鳥羽上皇命日祭の取材に行って参りました。
後鳥羽神社の「後鳥羽」とは、後鳥羽上皇のことです。

史実によると、上皇は治承4年(1180年)に御誕生し、5~19歳まで天皇として、建久9年(1198年)土御門天皇に譲位なさった後、上皇として政務をお執りになりました。
承久3年(1221年)上皇は、北条氏討伐を決行されましたが敗戦し、42歳で隠岐に流され、ここで60年の生涯を終えられました。
鳥羽院に残る伝説では、隠岐で十数年の歳月を過ごされたのち、上皇は、ここ「絹巻の里」(鳥羽院)に逃れていらっしゃいました。
そのとき、里人たちが火を焚き、稗粥をさし上げたところ、大変喜ばれた上皇は、「かくばかり身のあたたまる草の名をいかに人のひえと言うらむ」と御歌を読まれたそうです。その後、この地で余生をおくり、延応元年(1258年)2月22日60歳にて御崩御され、以来、「絹巻の里」を「鳥羽院」と呼ぶようになったといわれています。
現在、後鳥羽神社は後鳥羽上皇を主祭神とし、地域の氏神様として崇拝されています。

毎年、後鳥羽上皇の命日である2月22日に、宮司さんをお呼びして祭礼を行います。
鳥羽院地区は、上と下に分かれており今年は下地区が当番です。

米、塩、水、野菜、鯛、いりこ、海藻、果物、清酒などをお供えします。
これらを、神饌(しんせん)と呼びます。

玉串(たまぐし)とは、神事に用いる榊の枝で、玉串を神前に捧げて拝礼することを玉串奉奠(たまぐしほうでん)と言います。

祭儀の後に供えた神饌を食べる宴のことを直会(なおらい)といい、神事を構成する行事の一つです。
ここでは、「塩・いりこ・お神酒」を頂きます。
鳥羽院地区の皆様、ご協力ありがとうございました。
後鳥羽神社の「後鳥羽」とは、後鳥羽上皇のことです。

後鳥羽上皇と鳥羽院の伝説
史実によると、上皇は治承4年(1180年)に御誕生し、5~19歳まで天皇として、建久9年(1198年)土御門天皇に譲位なさった後、上皇として政務をお執りになりました。
承久3年(1221年)上皇は、北条氏討伐を決行されましたが敗戦し、42歳で隠岐に流され、ここで60年の生涯を終えられました。
鳥羽院に残る伝説では、隠岐で十数年の歳月を過ごされたのち、上皇は、ここ「絹巻の里」(鳥羽院)に逃れていらっしゃいました。
そのとき、里人たちが火を焚き、稗粥をさし上げたところ、大変喜ばれた上皇は、「かくばかり身のあたたまる草の名をいかに人のひえと言うらむ」と御歌を読まれたそうです。その後、この地で余生をおくり、延応元年(1258年)2月22日60歳にて御崩御され、以来、「絹巻の里」を「鳥羽院」と呼ぶようになったといわれています。
現在、後鳥羽神社は後鳥羽上皇を主祭神とし、地域の氏神様として崇拝されています。
祭礼

毎年、後鳥羽上皇の命日である2月22日に、宮司さんをお呼びして祭礼を行います。
鳥羽院地区は、上と下に分かれており今年は下地区が当番です。

米、塩、水、野菜、鯛、いりこ、海藻、果物、清酒などをお供えします。
これらを、神饌(しんせん)と呼びます。

玉串(たまぐし)とは、神事に用いる榊の枝で、玉串を神前に捧げて拝礼することを玉串奉奠(たまぐしほうでん)と言います。

祭儀の後に供えた神饌を食べる宴のことを直会(なおらい)といい、神事を構成する行事の一つです。
ここでは、「塩・いりこ・お神酒」を頂きます。
鳥羽院地区の皆様、ご協力ありがとうございました。
丁太田 百手祭りと数珠占い
2月19日(日)、丁太田地区で行われた百手祭りの取材に伺いました。

そもそも、百手祭りとは、新年に弓を射る神事を行い、その年の吉凶を占い、穢れを祓うお祭りです。
神埼市では、横武地区の祭りが広く知られていますが、犬の目貴船神社、鹿路神社でも同様の祭りが行われています。
他県では、長崎県諫早市の百手祭りが有名ですね。

朝8時、神社で百手祭りの準備が始まりました。
当番の方が的、弓、矢を作ります。
男性が5~6人集まり、葦を組んで、大的を作ります。

大的の両脇に小的を掲げます。

的の中心に「鬼」の字を書いた半紙を貼ります。

この丁太田地区の百手祭りには、珍しい特徴があります。
それは、「数珠占い」を行うことです。
丁太田は北小路(きたしゅうじ)、南小路(みなみしゅうじ)、中小路(なかしゅうじ)、奥小路(おくしゅうじ)の4班に分かれていますが、その中小路の人々にこの占いが受け継がれています。
占いの方法は、紙に作物の名前を書き、数珠に付いている房を使って吊り上げます。
最初に吊り上げた作物が、今年の豊作です。
百手祭りを始める前、神社にこの結果を書いた紙と「め」、「玉」を書いた紙とともに奉納します。

百手祭りの準備が終了した後、施主(当番)の家に集まり、占いを行います。
手で房を擦って、静電気を起こします。
その静電気によって、紙が吊り上げられます。


半紙に、「め」と「玉」を59個書きます。
何故、59個かというと、「昔は世帯数が59戸だったから」ではないかとのお話でした。


百手祭りを始める前に、今年の占いの結果を神社に奉納します。
さて、百手祭りの本番です。
鬼の的を狙って矢をいります。

矢を討ち終わったら、今度は外に出て、屋根に向かって矢を放ちます。

節分の豆まきと同じで、邪気を祓う効果があるとのお話です。

それが終了すると、皆さん、的に集まります。
そして、鬼の紙をめいめい持ち帰ります。
この紙を財布に入れておくと、縁起がよいそうです。
祭りが滞りなく行われ、最後に食事をして終わります。
丁太田のみなさん取材協力ありがとうございました。

百手祭り
そもそも、百手祭りとは、新年に弓を射る神事を行い、その年の吉凶を占い、穢れを祓うお祭りです。
神埼市では、横武地区の祭りが広く知られていますが、犬の目貴船神社、鹿路神社でも同様の祭りが行われています。
他県では、長崎県諫早市の百手祭りが有名ですね。
準備

朝8時、神社で百手祭りの準備が始まりました。
当番の方が的、弓、矢を作ります。
男性が5~6人集まり、葦を組んで、大的を作ります。

大的の両脇に小的を掲げます。

的の中心に「鬼」の字を書いた半紙を貼ります。

この丁太田地区の百手祭りには、珍しい特徴があります。
それは、「数珠占い」を行うことです。
丁太田は北小路(きたしゅうじ)、南小路(みなみしゅうじ)、中小路(なかしゅうじ)、奥小路(おくしゅうじ)の4班に分かれていますが、その中小路の人々にこの占いが受け継がれています。
占いの方法は、紙に作物の名前を書き、数珠に付いている房を使って吊り上げます。
最初に吊り上げた作物が、今年の豊作です。
百手祭りを始める前、神社にこの結果を書いた紙と「め」、「玉」を書いた紙とともに奉納します。
数珠占い

百手祭りの準備が終了した後、施主(当番)の家に集まり、占いを行います。
手で房を擦って、静電気を起こします。
その静電気によって、紙が吊り上げられます。


半紙に、「め」と「玉」を59個書きます。
何故、59個かというと、「昔は世帯数が59戸だったから」ではないかとのお話でした。


百手祭りを始める前に、今年の占いの結果を神社に奉納します。
百手祭り
さて、百手祭りの本番です。
鬼の的を狙って矢をいります。

矢を討ち終わったら、今度は外に出て、屋根に向かって矢を放ちます。

節分の豆まきと同じで、邪気を祓う効果があるとのお話です。

それが終了すると、皆さん、的に集まります。
そして、鬼の紙をめいめい持ち帰ります。
この紙を財布に入れておくと、縁起がよいそうです。
祭りが滞りなく行われ、最後に食事をして終わります。
丁太田のみなさん取材協力ありがとうございました。
荒堅目 もぐら打ち
2月19日(日)、神埼町本堀の荒堅目地区で行われた、もぐら打ちの取材にお邪魔してきました。

荒堅目地区では、毎年、子供クラブが中心になって、もぐら打ちを行われています。
もぐら打ちとは、家々の庭先の地面を叩いて、農作物に害をもたらすもぐらを追い払い、豊作を願う行事です。
本来、もぐら打ちの歌の中でも歌われるように、旧正月の十四日に行われる行事ですが、現在は、十四日に一番近い祭日に行われているようです。

当日の朝9時になると、荒堅目公民館には、数人の子供たちと、それぞれのお父さん達が集まりました。
お母さん達は、公民館に残り、お昼ごはんの準備です。
歌と地面の叩き方を、一通り練習し、いざ出発です。

子供たちは、一軒一軒の庭先で輪になって、歌に合わせて、地面を叩いて回っていました。



リズムに合わせて上手に叩けているかな?
ところで、もぐら打ちに使う打ち棒は、竹竿の先端に藁の束を巻いたものです。

他の地区では、この藁束自体が、「もぐら」だという説もあるようです。

この打ち棒の竿、少々細かったようで、力強い打ち方に耐えきれず、竿が折れてしまう子供もいました。

歌詞の中には、「がいどんがはわんごと」という歌詞が出てきます。
「がいどん」って一体何だか分りますか?
地区の方に聞いてみると、「がいどん」の「がい」は、「カニ」の事だとというお話でした。
なんでも、良くいるサワガニのようなものとは違う、爪の赤いカニが、潮の満ちた時に上がってきて悪さをしていたそうです。
それで、土にもぐって作物を荒らさないようにと、歌にもなっているんですね。
地区の、全ての家を回り終わると、公民館に戻ってきます。
最後に記念写真を撮らせていただきました。

荒堅目地区の皆さん、取材へのご協力ありがとうございました。

荒堅目地区では、毎年、子供クラブが中心になって、もぐら打ちを行われています。
もぐら打ちとは、家々の庭先の地面を叩いて、農作物に害をもたらすもぐらを追い払い、豊作を願う行事です。
本来、もぐら打ちの歌の中でも歌われるように、旧正月の十四日に行われる行事ですが、現在は、十四日に一番近い祭日に行われているようです。
家々を回る

当日の朝9時になると、荒堅目公民館には、数人の子供たちと、それぞれのお父さん達が集まりました。
お母さん達は、公民館に残り、お昼ごはんの準備です。
歌と地面の叩き方を、一通り練習し、いざ出発です。

子供たちは、一軒一軒の庭先で輪になって、歌に合わせて、地面を叩いて回っていました。



リズムに合わせて上手に叩けているかな?
ところで、もぐら打ちに使う打ち棒は、竹竿の先端に藁の束を巻いたものです。

他の地区では、この藁束自体が、「もぐら」だという説もあるようです。

この打ち棒の竿、少々細かったようで、力強い打ち方に耐えきれず、竿が折れてしまう子供もいました。

もぐら打ちの歌
歌詞の中には、「がいどんがはわんごと」という歌詞が出てきます。
「がいどん」って一体何だか分りますか?
地区の方に聞いてみると、「がいどん」の「がい」は、「カニ」の事だとというお話でした。
なんでも、良くいるサワガニのようなものとは違う、爪の赤いカニが、潮の満ちた時に上がってきて悪さをしていたそうです。
それで、土にもぐって作物を荒らさないようにと、歌にもなっているんですね。
最後に
地区の、全ての家を回り終わると、公民館に戻ってきます。
最後に記念写真を撮らせていただきました。

荒堅目地区の皆さん、取材へのご協力ありがとうございました。
貴船神社の百手祭り
2月12日(日)、神埼の犬の目地区にある貴船神社で行われた、百手祭りの取材に伺いました。

百手祭り(ももてまつり)とは、その名の通り、百手(1人2本)200本の矢を射る、「御弓始」の儀式に由来があるとされています。
犬の目地区では、厄払いや家内安全を祈願する行事として、毎年続けられているそうです。
神埼市では、犬の目地区の他、脊振の鹿路地区や神埼の横武地区にも、この行事が残っています。
正午になると、まずは神事が始まりました。

神事が終わると、いよいよ、的を射る「まとい」が始まります。

神社の拝殿から、約3mほど離れた的に向かって、矢を放ちます。
竹で編まれた的には、大きく「鬼」という文字が書かれています。

これを射る事で、厄を払うんですね。
まずは宮司さんが弓を射ます。

見事命中しました。

続いて、参加者の方が次々に弓を射られていました。



まといの後には、拝殿でお神酒びらきが行われました。
皆さん、無事厄払いは出来たでしょうか。

犬の目地区の皆さん、取材へのご協力ありがとうございました。

百手祭り(ももてまつり)とは、その名の通り、百手(1人2本)200本の矢を射る、「御弓始」の儀式に由来があるとされています。
犬の目地区では、厄払いや家内安全を祈願する行事として、毎年続けられているそうです。
神埼市では、犬の目地区の他、脊振の鹿路地区や神埼の横武地区にも、この行事が残っています。
参考鹿路の百手祭りのご紹介
横武百手祭りの様子
正午になると、まずは神事が始まりました。

神事が終わると、いよいよ、的を射る「まとい」が始まります。

神社の拝殿から、約3mほど離れた的に向かって、矢を放ちます。
竹で編まれた的には、大きく「鬼」という文字が書かれています。

これを射る事で、厄を払うんですね。
まずは宮司さんが弓を射ます。

見事命中しました。

続いて、参加者の方が次々に弓を射られていました。



まといの後には、拝殿でお神酒びらきが行われました。
皆さん、無事厄払いは出来たでしょうか。

犬の目地区の皆さん、取材へのご協力ありがとうございました。
貴別当神社の百手祭り
2月11日に行なわれた、貴別当神社の百手祭りにお伺いしました。

野口地区、上西地区、仲田町地区合同でお祭りします。
貴別当神社で、3地区合同でするお祭りは春の百手祭、夏の祇園祭、秋祭りです。
お供えは、鯛とお神酒です。
鯛はお祭り毎に、当番地区が用意します。
百手祭りのときは野口地区が用意します。
夏の祗園祭りは上西担当、秋祭りは仲田町担当でそれぞれ用意することになっています。
お神酒は、各地区1本用意します。(それぞれ持って帰って直会をします)
若宮神社の宮司さんを迎えて神事が行われました。

玉串奉奠は、3地区並んで一緒にします。
お宮で、地区ごとに円座になってお神酒開きします。

お神酒を皆で頂きます。
各地区、施主が用意したかまぼこ、てんぷら、ナマスなどを頂きます
百手祭りなので、昔は的射もやっていたそうです。古老のお話では、子供の頃見たことがあるとか。的射で占い、豊作祈願をし、また厄除け祈願でもあったそうです。
今では的射の行事はなくなり、神事のみ行われます。
お神酒開きを終えたら、上西地区は上西公民館に集まって直会、野口地区は施主宅で直会をします。
仲田地区はそのまま解散です。
野口地区


直会の時、盃を回して、ツー渡しをします。
施主交代の儀式です。
上西地区

直会の前に、予算や、これからの村祭りのあり方などの話し合いです。
そして、乾杯です。
この百手祭りは、元は野口地区のお祭りでしたが、隣の2地区と合同で行うようになったそうです。
いつ頃から、一緒にお祭りなさるようになったのですかとお聞きすると、「おいが、爺さんに聞いても昔からてゆうけん、ずっと昔からやろね~」と言うことでした。
取材協力ありがとうございました。
貴別当神社は、祭神を大己貴命(おおむなちのみこと)、斉藤別当実盛としています。
大己貴命は大国主の別名で、斉藤別当実盛は害虫駆除の神様とされています。
斉藤別当実盛を祀っていることから、地元の古老は、「別当は貴人だから、「貴別当」神社というのではないかなぁ」とおっしゃていました。
また、鳥居に「琉球王子」とあることから、除福さんが琉球王子を道先案内人としてこの土地を訪れたという説があります。
そして数年前には、その鳥居の「琉球王子」の謎に「沖縄出身の会」が神社を訪問し、琉球王朝に仕え、王府の儀礼で古代から沖縄に伝わる神歌「おもろさうし」を謡い、貴別当神社に奉納されました。
その際には、琉球との関わりを調査されたそうです。
また、境内には大きな長方形をした「海の石」、「山の石」と呼ばれる石が2個あり、それにまつわる民話を元に、千代田おはなし会「ケムケム」さんによる創作劇「お月様があぶない」が上演され好評をえています。
このように、貴別当神社には、数多くの伝説や謎があり、ロマンはつきません。

貴別当の百手について
野口地区、上西地区、仲田町地区合同でお祭りします。
貴別当神社で、3地区合同でするお祭りは春の百手祭、夏の祇園祭、秋祭りです。
お供えは、鯛とお神酒です。
鯛はお祭り毎に、当番地区が用意します。
百手祭りのときは野口地区が用意します。
夏の祗園祭りは上西担当、秋祭りは仲田町担当でそれぞれ用意することになっています。
お神酒は、各地区1本用意します。(それぞれ持って帰って直会をします)
神事
若宮神社の宮司さんを迎えて神事が行われました。

玉串奉奠は、3地区並んで一緒にします。
お宮で、地区ごとに円座になってお神酒開きします。

お神酒を皆で頂きます。
各地区、施主が用意したかまぼこ、てんぷら、ナマスなどを頂きます
百手祭りなので、昔は的射もやっていたそうです。古老のお話では、子供の頃見たことがあるとか。的射で占い、豊作祈願をし、また厄除け祈願でもあったそうです。
今では的射の行事はなくなり、神事のみ行われます。
直会
お神酒開きを終えたら、上西地区は上西公民館に集まって直会、野口地区は施主宅で直会をします。
仲田地区はそのまま解散です。
野口地区


直会の時、盃を回して、ツー渡しをします。
施主交代の儀式です。
上西地区

直会の前に、予算や、これからの村祭りのあり方などの話し合いです。
そして、乾杯です。
この百手祭りは、元は野口地区のお祭りでしたが、隣の2地区と合同で行うようになったそうです。
いつ頃から、一緒にお祭りなさるようになったのですかとお聞きすると、「おいが、爺さんに聞いても昔からてゆうけん、ずっと昔からやろね~」と言うことでした。
取材協力ありがとうございました。
貴別当神社
貴別当神社は、祭神を大己貴命(おおむなちのみこと)、斉藤別当実盛としています。
大己貴命は大国主の別名で、斉藤別当実盛は害虫駆除の神様とされています。
斉藤別当実盛を祀っていることから、地元の古老は、「別当は貴人だから、「貴別当」神社というのではないかなぁ」とおっしゃていました。
また、鳥居に「琉球王子」とあることから、除福さんが琉球王子を道先案内人としてこの土地を訪れたという説があります。
そして数年前には、その鳥居の「琉球王子」の謎に「沖縄出身の会」が神社を訪問し、琉球王朝に仕え、王府の儀礼で古代から沖縄に伝わる神歌「おもろさうし」を謡い、貴別当神社に奉納されました。
その際には、琉球との関わりを調査されたそうです。
また、境内には大きな長方形をした「海の石」、「山の石」と呼ばれる石が2個あり、それにまつわる民話を元に、千代田おはなし会「ケムケム」さんによる創作劇「お月様があぶない」が上演され好評をえています。
このように、貴別当神社には、数多くの伝説や謎があり、ロマンはつきません。
倉岡神社の祈年祭
2月9日に行なわれた倉岡神社の祈年祭に伺いました。

倉岡神社の祈年祭は、年の初めに、今年の五穀豊穣を祈るお祭りです。
当日朝の準備から取材予定でしたが、前日から雪が降り続き、道が凍っていて危ないからと、11時に始まる神事から取材することにしました。
その雪の影響で、祭りの準備も朝からではなく昼と前日前倒しで行われたそうです。
8日は昼も雪が降っていたので、お宮の掃除や、注連縄を編むのは大変だったと思います。
お宮、祠、石祠の分を編みます。


お米、餅、塩、昆布、海のもの、山のもの、里のものと用意します。

そして、倉岡神社の祈年祭では、毎年必ず干柿がお供えされます。

倉岡神社のある倉谷は、干柿が特産で、甘くて味がよく、倉谷柿といわれています。
江戸時代には、毎年藩主に献上されていたそうです。
脊振神社の宮司さんをお迎えして神事が始まります。

玉串奉奠です。

神事の後には、お宮で直会が行われました。
皆で、お神酒さんをいただきます。
ちくわ、てんぷら、かまぼこ、たくあんが用意されていました。

昔は神事の終わった後、公民館に移り直会をしていたそうです。
その頃は、朝早く起きて弁当(お汁、刺身コンニャク、魚、ナマスなど)を作って大変だったけれども、それが楽しかったともおっしゃっていました。
今は、略式になっています。
寒いので温かいお茶とお菓子も用意されていて、お神酒をいただいた後は茶話会のように楽しくおしゃべりをしました。
取材へのご協力ありがとうございました。

倉岡神社の祈年祭は、年の初めに、今年の五穀豊穣を祈るお祭りです。
当日朝の準備から取材予定でしたが、前日から雪が降り続き、道が凍っていて危ないからと、11時に始まる神事から取材することにしました。
その雪の影響で、祭りの準備も朝からではなく昼と前日前倒しで行われたそうです。
8日は昼も雪が降っていたので、お宮の掃除や、注連縄を編むのは大変だったと思います。
お宮、祠、石祠の分を編みます。


お供えの準備
お米、餅、塩、昆布、海のもの、山のもの、里のものと用意します。

そして、倉岡神社の祈年祭では、毎年必ず干柿がお供えされます。

倉岡神社のある倉谷は、干柿が特産で、甘くて味がよく、倉谷柿といわれています。
江戸時代には、毎年藩主に献上されていたそうです。
神事
脊振神社の宮司さんをお迎えして神事が始まります。

玉串奉奠です。

直会
神事の後には、お宮で直会が行われました。
皆で、お神酒さんをいただきます。
ちくわ、てんぷら、かまぼこ、たくあんが用意されていました。

昔は神事の終わった後、公民館に移り直会をしていたそうです。
その頃は、朝早く起きて弁当(お汁、刺身コンニャク、魚、ナマスなど)を作って大変だったけれども、それが楽しかったともおっしゃっていました。
今は、略式になっています。
寒いので温かいお茶とお菓子も用意されていて、お神酒をいただいた後は茶話会のように楽しくおしゃべりをしました。
取材へのご協力ありがとうございました。
横武の百手祭り
1月22日、横武の百手祭りにお邪魔しました。

百手祭りとは、1手2本合計200本の矢を射る「御弓始め」の儀式に由来する「厄除け」と「豊凶の年占い」を兼ねた行事です。
元々は、横武西地区の乙龍神社で催されていましたが、圃場整備後に東西の神社を合祀したことにより、横武地区全体で祭りを行うことになりました。
そのことで、参加者が増えたこともあり、準備に2日かかっていたのが、1日で済むようになりました。
また、乙龍神社は女性の神様なので、女人禁制だったのですが、今では女性も祭りに参加します。
午後3時、千代田町原の町の若宮神社から宮司さんをお呼びして、祝詞をあげてもらいます。
来賓の方も多数いらっしゃっています。

ごっくうさん、いり豆、団子、切り大根、里芋の煮物、御神酒、雌雄腹合わせにした鮒をお供えします。


大的1個、紙的2個、菱的2個が用意されます。

大的の裏には、「鬼」を書いた紙を張り、この「鬼」が矢で落ちると「厄払い」が出来たということになります。
1人5本ずつ矢を射ります。

大的に当ると、「今年は大安」、「病気にかからない」といい、紙的に当たると「家内安全」、菱的に当たると「今年は豊作だ」と声が上がります。
去年は、菱的に多数の矢が当たりましたが、今年は、3種類の的に同数程度の矢が当たりました。

各氏子の弓射りが終わると、直会を行います。

お弁当の上に載っているものは、「トチギ」で、参加者に1本ずつ配られます。
これは、樫の木を切り出したもので、火事・雷除けのお守りです。

直会の後に、「ツウ渡し」といって、今年の施主(当番)から来年の施主に引継ぎが行なわれます。
お謡い3番が歌われ、切り大根をいただき、杯を左右に回します。最後に、ごっくうさん、団子、いり豆、里芋の煮物を食べます。
横武地区の皆様、ご協力ありがとうございました。

百手祭りとは、1手2本合計200本の矢を射る「御弓始め」の儀式に由来する「厄除け」と「豊凶の年占い」を兼ねた行事です。
元々は、横武西地区の乙龍神社で催されていましたが、圃場整備後に東西の神社を合祀したことにより、横武地区全体で祭りを行うことになりました。
そのことで、参加者が増えたこともあり、準備に2日かかっていたのが、1日で済むようになりました。
また、乙龍神社は女性の神様なので、女人禁制だったのですが、今では女性も祭りに参加します。
神事
午後3時、千代田町原の町の若宮神社から宮司さんをお呼びして、祝詞をあげてもらいます。
来賓の方も多数いらっしゃっています。

ごっくうさん、いり豆、団子、切り大根、里芋の煮物、御神酒、雌雄腹合わせにした鮒をお供えします。


まとい
大的1個、紙的2個、菱的2個が用意されます。

大的の裏には、「鬼」を書いた紙を張り、この「鬼」が矢で落ちると「厄払い」が出来たということになります。
1人5本ずつ矢を射ります。

大的に当ると、「今年は大安」、「病気にかからない」といい、紙的に当たると「家内安全」、菱的に当たると「今年は豊作だ」と声が上がります。
去年は、菱的に多数の矢が当たりましたが、今年は、3種類の的に同数程度の矢が当たりました。

直会
各氏子の弓射りが終わると、直会を行います。

お弁当の上に載っているものは、「トチギ」で、参加者に1本ずつ配られます。
これは、樫の木を切り出したもので、火事・雷除けのお守りです。

直会の後に、「ツウ渡し」といって、今年の施主(当番)から来年の施主に引継ぎが行なわれます。
お謡い3番が歌われ、切り大根をいただき、杯を左右に回します。最後に、ごっくうさん、団子、いり豆、里芋の煮物を食べます。
横武地区の皆様、ご協力ありがとうございました。
本堀地区の村祭り
昨年12月18日、本堀地区の村祭りにお邪魔しました。

地元の方にお聞きしたところ、このお祭りは、少なくとも100年以上の歴史があるということです。
祭りの意味合いとしては、「今年の収穫に感謝し、来年の豊作、無病息災を願う」ことだそうです。
元々は12月18日に行われていましたが、現在は18日に近い日曜日に変更になっています。
以前は、祭り前夜に、穴を掘って、3段の組み木を作って、一晩中燃やしていた「ほんげんきょう」を行っていたとお聞きしました。
本堀公民館の玄関付近を掘ると当時の燃えカスが出で来るそうです。
また、子供が神社に集まって、カルタ取りなどでして夜を過ごしたり、太鼓をたたいて、祭り参加を呼びかけたりしていました。
天満宮の行事は、4班と5班で執り行っており、今回は4班が当番でした。祭りの1週間前に、当番の班全員で、注連飾りを作ります。

神事の後、みんなで直会をします。

お料理は供物とお弁当。
昔は、餅、赤飯、「ふなのこぐい」などを施主が用意していたそうです。

本堀では、各家庭で赤飯を炊き、おむすび状にしたものを「ごっくうさん、また、はせっくはん」と呼びます。
当番の方が用意したご飯の上に小豆を載せているものも「ごっくうさん」といいます。

「ひょうご皿」と呼ばれる、わらで作ったお皿に供物を盛ります。
この「ひょうご皿」は、「陶器のお皿の代わりとしてつったものではないか」と本堀地区の方は言われていますが、珍しい形なので、「自分たちの地区でも作っている」、「なまえの由来を知っている」という方は、ぜひお知らせください。
本堀地区の皆さん、取材へのご協力ありがとうございました。

百年以上もの歴史を持つ村祭り
地元の方にお聞きしたところ、このお祭りは、少なくとも100年以上の歴史があるということです。
祭りの意味合いとしては、「今年の収穫に感謝し、来年の豊作、無病息災を願う」ことだそうです。
元々は12月18日に行われていましたが、現在は18日に近い日曜日に変更になっています。
以前は、祭り前夜に、穴を掘って、3段の組み木を作って、一晩中燃やしていた「ほんげんきょう」を行っていたとお聞きしました。
本堀公民館の玄関付近を掘ると当時の燃えカスが出で来るそうです。
また、子供が神社に集まって、カルタ取りなどでして夜を過ごしたり、太鼓をたたいて、祭り参加を呼びかけたりしていました。
天満宮の行事は、4班と5班で執り行っており、今回は4班が当番でした。祭りの1週間前に、当番の班全員で、注連飾りを作ります。

ひょうご皿?
神事の後、みんなで直会をします。

お料理は供物とお弁当。
昔は、餅、赤飯、「ふなのこぐい」などを施主が用意していたそうです。

本堀では、各家庭で赤飯を炊き、おむすび状にしたものを「ごっくうさん、また、はせっくはん」と呼びます。
当番の方が用意したご飯の上に小豆を載せているものも「ごっくうさん」といいます。

「ひょうご皿」と呼ばれる、わらで作ったお皿に供物を盛ります。
この「ひょうご皿」は、「陶器のお皿の代わりとしてつったものではないか」と本堀地区の方は言われていますが、珍しい形なので、「自分たちの地区でも作っている」、「なまえの由来を知っている」という方は、ぜひお知らせください。
本堀地区の皆さん、取材へのご協力ありがとうございました。
鹿路神社の百手祭

昨年に引き続き、2月8日(水)に行われた鹿路神社の百手祭に伺いました。
昨年のお祭りの様子はこちら 『鹿路の百手祭りのご紹介』
鹿路神社は創建が弘長3年(1263年)の由緒ある古社です。

祭神は葛城一言主神です。
この神様は「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離つ神」として託宣の神とされています。
「一言(いちごん)さん」と呼ばれ、一言だけ願いをかなえてくれると信仰されている神様です。
お祭りの準備
この日は、朝からすごい雪でした。
寒い中、当番は朝8時に集まってお宮の掃除などの準備です。

お供えの準備です。
餅は前日に当番の家で作ります。
鯛は長さ7寸と決まっているので、1週間前から魚屋さんに頼んで用意してもらうそうです。
そのほか、野菜、果物、酒、塩、米など用意します。

的と弓矢の準備
弓は5本作り、矢は20本作ります。

的は1つ大きく作り、鳥居にかけます。
雪が降っているので傷まないように神事の直前にかけます。
去年と的の形が違いますが、お祭の当番が変わると的も変わるのですね。

神事
脊振神社の宮司さんをお迎えして神事が始まります。
お宮にはたくさんの人が集まりました。

弓矢にも御祓いをします。

神事の後、太鼓をたたきながら宮司さんを先頭にして神社を1周します。
本来は2周するそうですが、近年は1周になったそうです。


的当て
百手祭の的射は、無病息災、魔除けを願って行います。
昔は、鍛錬の事始めの意味もあったそうです。

当たれば豊作と言われました。

ここ最近は、お神益のおかげで五穀豊穣、無病息災がつづいていると参加した方がおっしゃっていました。
直会
皆でお神酒さんをいただきます。

皆がお神酒さんをのんでいる間に、当番の人はお供えの鯛で骨酒を造ります。
炭火でじっくり焼きます。

熱燗を注ぎます。
骨酒を皆でいただきます。


この百手祭りは昔から変わることなく2月8日に催行されます。
今年は雪の降る中、準備など大変だったと思います。
施主の方々お疲れ様でした。
取材協力ありがとうございました。
おてんとうさんをまつって 石井ヶ里の日天宮祭り
大しめ縄! 岩田地区の秋祭り
18日祭り 藤東の秋祭り
12月18日、千代田の藤東地区の秋祭りに伺いました。
このお祭りは、毎年12月18日に催され、地域のかたには「18日祭り」と呼ばれています。
今では、お祭りの催行日は、18日に近い日曜日と改定されたので、必ずしも18日には催されないのですが、今年はたまたま18日が日曜日だったので、本来の日程で行われました。 続きを読む
このお祭りは、毎年12月18日に催され、地域のかたには「18日祭り」と呼ばれています。
今では、お祭りの催行日は、18日に近い日曜日と改定されたので、必ずしも18日には催されないのですが、今年はたまたま18日が日曜日だったので、本来の日程で行われました。 続きを読む