地域の祭りとして 駅大明神祭りと天満宮祭り
2012年02月28日
神埼市デジタルミュージアム かんざき@NAVI at 17:05 | Comments(0) | お祭り
12月11日に行われた、神埼町田道ヶ里駅ヶ里の駅大明神祭りと、天満宮祭りの取材にお邪魔しました。
駅ヶ里地区では、公民館に隣接した駅ヶ里神社での駅大明神祭りと、境内にある天満宮の天満宮祭りが同じ日に行われます。現在、12月の第2日曜日に催行されます。
駅大明神祭りは、本来は、地域の祭りとして12月の第2土曜日に催されていました。
祭神は、天照大神の別名でもある、撞賢木厳之御魂天疎向津姫命(つきさかきいつのみたまあめさかるむかひつひめのみこと)で、家内安全、五穀豊穣を、お祈りします。
天満宮祭りは、「天神様の祭り」とも呼ばれ、農家の祭りとして12月の第3日曜日に催されていました。
「祭り田」の収穫物から得た利益で祝う「収穫祭」は、当番の家に農家の人々が全員集まって行っていたそうですが、今では地域の祭りとして、駅大明神祭りと一緒に行われるようになりました。
お祭りの前日、三役と4、5人の農家、老人クラブで、注連縄を作ります。
他の地区よりも、細く編みます。
注連縄を編む下準備です。
たくさん作り、注連縄を編む作業をしやすくします。
出来上がった注連縄をよく見ると、〆の子(注連縄につけるわら飾り)が6本です。
注連縄は、七五三縄と書いても「しめなわ」と読み、通常は〆の子を、七・五・三本と垂らします。
6本のところはここだけです。
地区の方々も「なぜだか分からないがずっとそうしてきた。」との事で、その由来は分かりませんでした。
もし、ご存知の方がいらしたら教えてください!
注連縄作りと同時に鳥居の飾りも行います。
天満宮の鳥居を竹で作ります。
櫛田宮でいただいてきた御幣をつけ、注連縄を掛けて完成です。
お祭り当日、櫛田宮の宮司さんをお招きして、神事が始まります。
最初は駅大明神社です。
家内安全と五穀豊穣を願います。
次は、天満宮での神事です。
玉串奉奠です。
収穫を感謝します。
区長さんの挨拶の後、乾杯。
地区の親睦を深められていました。
天照大神の荒御魂(神の荒々しい側面)である撞賢木厳之御魂天疎向津姫命は、近隣では田手川沿いの田手神社に祀られているだけの、大変珍しい徳の高い神様です。
田手神社は、伊勢参りの代参神社でもあります。
伊勢参りの代参神社とは、江戸時代に、領民が領外に出ることを防ぐため、遠く伊勢に参拝する代わりに、領内に分霊を祀ったものです。
代参神社は、佐嘉伊勢屋町の伊勢神宮と田手宿の田手太神宮だけでした。
その田手神社に近いこともあり、撞賢木厳之御魂天疎向津姫命が祭神とされたのではないのでしょうか。
伊勢神宮を崇敬する人の多い地区だったと思われます。
取材へのご協力ありがとうございました。
駅大明神祭りは、本来は、地域の祭りとして12月の第2土曜日に催されていました。
祭神は、天照大神の別名でもある、撞賢木厳之御魂天疎向津姫命(つきさかきいつのみたまあめさかるむかひつひめのみこと)で、家内安全、五穀豊穣を、お祈りします。
天満宮祭りは、「天神様の祭り」とも呼ばれ、農家の祭りとして12月の第3日曜日に催されていました。
「祭り田」の収穫物から得た利益で祝う「収穫祭」は、当番の家に農家の人々が全員集まって行っていたそうですが、今では地域の祭りとして、駅大明神祭りと一緒に行われるようになりました。
祭りの準備
お祭りの前日、三役と4、5人の農家、老人クラブで、注連縄を作ります。
他の地区よりも、細く編みます。
注連縄を編む下準備です。
たくさん作り、注連縄を編む作業をしやすくします。
出来上がった注連縄をよく見ると、〆の子(注連縄につけるわら飾り)が6本です。
注連縄は、七五三縄と書いても「しめなわ」と読み、通常は〆の子を、七・五・三本と垂らします。
6本のところはここだけです。
地区の方々も「なぜだか分からないがずっとそうしてきた。」との事で、その由来は分かりませんでした。
もし、ご存知の方がいらしたら教えてください!
注連縄作りと同時に鳥居の飾りも行います。
天満宮の鳥居を竹で作ります。
櫛田宮でいただいてきた御幣をつけ、注連縄を掛けて完成です。
神事
お祭り当日、櫛田宮の宮司さんをお招きして、神事が始まります。
最初は駅大明神社です。
家内安全と五穀豊穣を願います。
次は、天満宮での神事です。
玉串奉奠です。
収穫を感謝します。
直会
区長さんの挨拶の後、乾杯。
地区の親睦を深められていました。
駅大明神
天照大神の荒御魂(神の荒々しい側面)である撞賢木厳之御魂天疎向津姫命は、近隣では田手川沿いの田手神社に祀られているだけの、大変珍しい徳の高い神様です。
田手神社は、伊勢参りの代参神社でもあります。
伊勢参りの代参神社とは、江戸時代に、領民が領外に出ることを防ぐため、遠く伊勢に参拝する代わりに、領内に分霊を祀ったものです。
代参神社は、佐嘉伊勢屋町の伊勢神宮と田手宿の田手太神宮だけでした。
その田手神社に近いこともあり、撞賢木厳之御魂天疎向津姫命が祭神とされたのではないのでしょうか。
伊勢神宮を崇敬する人の多い地区だったと思われます。
取材へのご協力ありがとうございました。