祇園さんと豆祇園さん 新宿祇園祭
2011年08月09日
神埼市デジタルミュージアム かんざき@NAVI at 17:00 | Comments(0) | お祭り
前回書いた記事とは前後しますが、7月17日に千代田の新宿地区で行われていた、新宿地区の祇園祭にお邪魔してきました
宿場町として
新宿地区は、読んで字のごとく、元々長崎街道の宿場町として栄えていたそうで、「昔は、いろんな所が宿屋の造りをしていたよ。」と教えていただきました。
そんな背景から、所謂、非農家のお宅が多く、「昔から収穫に関係するような行事はないもんねぇ。」と区長さんは言われていました。
確かに、春、秋のお祭りと今回の祇園さんは、昔から行われていたみたいですが、隣の地区で行われている天狗の面を使った「汐取り」(※注1)と言われる五穀豊穣を祈願する祭りなどは、新宿地区では行われた記憶がないと、区長さんは言われていました。
※注1)城原川や中地江川流域で行われているお祭り。天狗の面を先頭に行列をなし、海水と川の水が交わる所で天狗の面に水を掛ける。
ここ新宿では班の当番さんが準備するのではなく、見守り隊のお母さん達が準備をされています。
この見守り隊は神埼市から何度も表彰されるほど活発に活動されているそうで、そんなパワフルなお母さん達に負けないように取材をさせていただきました
人の姿をしたお稲荷さん
さて、今回の主役の方々です。
赤い建物をの中に入っている方は稲荷神さんです。
一般的にお稲荷さんと聞いて一番最初に思い浮かぶ狐は、元々は神様のお使いのようです。
(詳しくは、wikipedia等を参照下さい)
この稲荷神さん、一番最初に石造物の調査で見たときは、何の神様が祀られているのか全く分かりませんでした。
その後、色々と調べていって、ようやく稲荷神さんと分かった時に、もう一つ気づかされたのを覚えています。
確かに言われてみれば建物が赤い色だったと。(赤い鳥居の代わりか何かなんでしょうね。)
思い
記事のタイトルにも書きましたが、「祇園」は八坂神社のお祭り、「豆祇園」はお稲荷さんのお祭りですが、今回は一緒に行われています。
この二つの祇園祭り、元々は別々に行われていたそうで、豆祇園に至っては、ここ数年ほど前まで途絶えていました。と言うのは、数件の家でお稲荷さんをお世話されていて、その方々が高齢となりお世話が出来なくなると、自然と豆祇園の行事も行われなくなったからだそうです。
現在の区長さんの代から、地区でお稲荷さんのお世話をするようになり、3年程前から途絶えていた豆祇園を、祇園祭の時に一緒に行うようになったそうです。
「昔の祇園さんは賑わいよったよ。青年団が舞台作って、踊ったりね。」
「だから、何とかこの行事を残して行きたい。子供たちに思い出を作ってあげたい。」
そう区長さんが言われていたのが印象的でした。
初めての
昔は各家庭でソラマメを作っていて、それを豆祇園の際に煮豆として使うことが多かったようですが、最近ではソラマメも作ることも少なくなり、変わりに調理のしやすい金時豆を使うことが多くなっています。
しかし、「今年は偶然作ったよ。」と言われて、自宅から持ってきて頂きました。昔ながらの煮ソラマメです。
他の地区では見ることが出来なかったので、貴重なものを見せていただきました。
ちなみに参拝者に配る金時豆はこちら。
おいしそうに炊き上がりました。
次は袋詰めです。
当初の予定では子供たちが袋詰めをすると言われてたのですが、当日は他のイベントと重なり、子供たちが集まらなかったため、見守り隊の皆さんでの袋詰め作業となりました。
いよいよお祭りの時間が近づと、スピーカーから音楽が流れ始めました。
「これは新宿音頭と言って、この地区の人が作詞したんだよ。」と教えていただきました。
千代田音頭は知っていたのですが、新宿音頭は知りませんでした。
他でも独自の祭囃子を作っているところがあるのでしょうか?
(作っているところがあれば、準備室の方までご一報ください。かんざき@NAVI 情報募集)
お祭り
さて、祇園祭が始まりました。
宮司さんが、地区の無病息災を祈願され、地区の方々が玉串奉奠をされます。
子供たちもしっかりと祈願をしていました。
祈願も終わり、会食が始まりました。
その横では子供たちが参拝者に豆を売っています。
ちゃんとできたかな?
中には一人で何個も買っていかれる方も
子供たちのことを本当に大事に思っていらっしゃるんでしょうね。
終わりに
1月のほんげんぎょう以来の取材となりましたが、区長さんや見守り隊のお母さん達には大変お世話になりました。今回も取材へのご協力ありがとうございました