年に3回のお祭り 中津弁財天祭り
2011年09月15日
神埼市デジタルミュージアム かんざき@NAVI at 17:10 | Comments(0) | お祭り
8月10日に、千代田の中津地区で行われた弁財天祭りにお邪魔してきました。
中津地区の弁財天祭りは、地元では、『べんじゃさん祭り』として親しまれ、5月、8月、11月と年に3回行われるそうです。
参加者は「脊振のべんじゃさん祭りと同じようなお祭り。」と言われていました。
べんじゃさん祭り
中津地区の弁財天祭りは、地元では、『べんじゃさん祭り』として親しまれ、5月、8月、11月と年に3回行われるそうです。
参加者は「脊振のべんじゃさん祭りと同じようなお祭り。」と言われていました。
参考:脊振 弁財天祭り その1 その2
今回のお祭りは参拝後、祠の前にござを敷き、そこで皆さん会食をされるということで、
2組の施主の方が早速準備をされています。
手際よく、あっという間に会場が完成。
そして、地区の方が参拝に見えられ始めました。
さて、こちらが今回の主役の弁財天さんです。
この弁財天さん、圃場整備で場所を移される以前は、地区南にある排水機のところにあり、お祭りもそこで行われていたそうです。
「昔は夜通し飲んで、近くの家に皆で泊まったり、賑わっていたよ。」
ある参拝者の方は懐かしそうに昔のことを思い出されていました。
また、弁財天は水の神様として知られていますが、参拝者の方から水に関する地区の昔話を伺うことが出来ました。
「明治の頃、大雨で1週間ほど水が引かないことがあった。そこで村で決死隊を作り堤防を切りに行った。そのお陰で水は引いたが、その事が刑事事件となり、決死隊は投獄されてしまった。そこで、出来島で蝋屋を営んでいた牧さんと言う人が、明治政府と交渉し、無事釈放となった。今後、このようなことが起きないようにと、牧さんは自費で堤防を切って水門を作った。これが中津一番の大事件だった。」
この話は、千代田町誌に「浮島堤防切り落とし事件」として登場します。
ちなみにその水門はこちら。
水門近くの案内板には、こうあります。
お話に出てきた牧さんが、『次郎物語』の次郎のお爺さんのモデルだったんですね。
このような昔話もお祭りと一緒に、ぜひ次の世代に受け継いで行っていただきたいですね。
区長さんを始め、地区の方々、取材へのご協力ありがとうございました。
2組の施主の方が早速準備をされています。
手際よく、あっという間に会場が完成。
そして、地区の方が参拝に見えられ始めました。
水に関すること
さて、こちらが今回の主役の弁財天さんです。
この弁財天さん、圃場整備で場所を移される以前は、地区南にある排水機のところにあり、お祭りもそこで行われていたそうです。
「昔は夜通し飲んで、近くの家に皆で泊まったり、賑わっていたよ。」
ある参拝者の方は懐かしそうに昔のことを思い出されていました。
また、弁財天は水の神様として知られていますが、参拝者の方から水に関する地区の昔話を伺うことが出来ました。
「明治の頃、大雨で1週間ほど水が引かないことがあった。そこで村で決死隊を作り堤防を切りに行った。そのお陰で水は引いたが、その事が刑事事件となり、決死隊は投獄されてしまった。そこで、出来島で蝋屋を営んでいた牧さんと言う人が、明治政府と交渉し、無事釈放となった。今後、このようなことが起きないようにと、牧さんは自費で堤防を切って水門を作った。これが中津一番の大事件だった。」
この話は、千代田町誌に「浮島堤防切り落とし事件」として登場します。
ちなみにその水門はこちら。
水門近くの案内板には、こうあります。
お話に出てきた牧さんが、『次郎物語』の次郎のお爺さんのモデルだったんですね。
このような昔話もお祭りと一緒に、ぜひ次の世代に受け継いで行っていただきたいですね。
区長さんを始め、地区の方々、取材へのご協力ありがとうございました。