新年の山登り 柏原の初日の出登山
2012年03月13日
神埼市デジタルミュージアム かんざき@NAVI at 17:05 | Comments(3) | 行事
今年の1月1日元旦、神埼の柏原地区で長年続いている、初日の出登山の取材に伺いました。
朝6時20分、柏原公民館に「おめでとうございます」の挨拶を交わしながら、地域の人たちが集まります。
元々子供会の行事だったそうですが、今は関係なく登ります。
帰省で実家に帰っている子供たちも参加するので、総勢約30名になります。

早朝から出発
朝6時20分、柏原公民館に「おめでとうございます」の挨拶を交わしながら、地域の人たちが集まります。
元々子供会の行事だったそうですが、今は関係なく登ります。
帰省で実家に帰っている子供たちも参加するので、総勢約30名になります。

暗い中、出発です。

懐中電灯で足元を照らしながら登ります。
五合目ほどになると、だんだんと体が温まり、暑くなってきました。
皆、一度足を止めて上着を脱ぎます。

この日は、思ったほど冷え込んでいなかったので、着込んでいた人は汗ばむほどでした。
「暑か~、うちはズボン脱ぎたか~。」という声も聞こえるほどでした。
7時頃、登頂。
山頂で記念写真です。


佐賀の元旦の日の出時刻は7時22分です。
ご来光を待ちます。
しかし、薄曇りのため、結局初日の出は見ることが出来ませんでした。
8時20分頃、公民館にてお年始挨拶をします。
紅白饅頭とお酒を頂きます。


三本締めで解散です。

日の隈山はその形の美しさから「西郷富士」とも呼ばれ、その高さ148.4mの手軽に登れる山です。
柏原地区のすぐ北にあります。
登りながらお聞きした話では、「子供の頃、日の隈山に柴(台所の燃料)をよくとりに行った。」ということでした。
今では初日の出登山の際に登るだけだそうです。
登山というと大変な感じを受けますが皆でお話しながら楽しく登ることが出来ました。
今回は、残念ながらご来光は拝めませんでしたが、皆さんの親睦は深まったと思います。
取材へのご協力ありがとうございました。
弥生時代、すでに通信手段として烽火(のろし)が使われ、6世紀になると、九州では国防のために防人と烽火台が設けられました。
その1つが日の隈山にありました。
烽火は、外敵の来襲などをいち早く各地に知らせる手段です。
どのくらいの速度か知りたくありませんか。
1988年、 烽火で大阪(大阪城)・尾道250㎞を29ヶ所で中継し新幹線と競争を行いました。
結果は烽火が1時間58分で伝わったのに対して、新幹線はそれより10分速く到着したそうです。
現代の新幹線とそれほど変わらない伝達速度には驚きますよね。
また、去年行われた古代山城サミットでは、烽火リレーが行われ、大宰府政庁跡から鞠智(きくち)城まで100kmを1時間で伝達しました。
遠く福岡での異変を、熊本まで、わずか1時間ほどで知らせることができたのですね。
この日登った日の隈山を1500年前、防人たちも登ったと思うと感慨深いですね。

懐中電灯で足元を照らしながら登ります。
五合目ほどになると、だんだんと体が温まり、暑くなってきました。
皆、一度足を止めて上着を脱ぎます。

この日は、思ったほど冷え込んでいなかったので、着込んでいた人は汗ばむほどでした。
「暑か~、うちはズボン脱ぎたか~。」という声も聞こえるほどでした。
7時頃、登頂。
山頂で記念写真です。


佐賀の元旦の日の出時刻は7時22分です。
ご来光を待ちます。
しかし、薄曇りのため、結局初日の出は見ることが出来ませんでした。
年始のあいさつ
8時20分頃、公民館にてお年始挨拶をします。
紅白饅頭とお酒を頂きます。


三本締めで解散です。
日の隈山

日の隈山はその形の美しさから「西郷富士」とも呼ばれ、その高さ148.4mの手軽に登れる山です。
柏原地区のすぐ北にあります。
登りながらお聞きした話では、「子供の頃、日の隈山に柴(台所の燃料)をよくとりに行った。」ということでした。
今では初日の出登山の際に登るだけだそうです。
登山というと大変な感じを受けますが皆でお話しながら楽しく登ることが出来ました。
今回は、残念ながらご来光は拝めませんでしたが、皆さんの親睦は深まったと思います。
取材へのご協力ありがとうございました。
おまけの話 烽火の山
弥生時代、すでに通信手段として烽火(のろし)が使われ、6世紀になると、九州では国防のために防人と烽火台が設けられました。
その1つが日の隈山にありました。
烽火は、外敵の来襲などをいち早く各地に知らせる手段です。
どのくらいの速度か知りたくありませんか。
1988年、 烽火で大阪(大阪城)・尾道250㎞を29ヶ所で中継し新幹線と競争を行いました。
結果は烽火が1時間58分で伝わったのに対して、新幹線はそれより10分速く到着したそうです。
現代の新幹線とそれほど変わらない伝達速度には驚きますよね。
また、去年行われた古代山城サミットでは、烽火リレーが行われ、大宰府政庁跡から鞠智(きくち)城まで100kmを1時間で伝達しました。
遠く福岡での異変を、熊本まで、わずか1時間ほどで知らせることができたのですね。
この日登った日の隈山を1500年前、防人たちも登ったと思うと感慨深いですね。
この記事へのコメント
日の隈山に、弥生時代に烽火台があったとは、知りませんでした。
>>古代山城サミットでは、烽火リレーが行われ、大宰府政庁跡から鞠智(きくち)城まで100kmを1時間で伝達しました
弥生時代のtwitterですね。
吉野ヶ里公園のイベント等でやればよさそうですね。
>>古代山城サミットでは、烽火リレーが行われ、大宰府政庁跡から鞠智(きくち)城まで100kmを1時間で伝達しました
弥生時代のtwitterですね。
吉野ヶ里公園のイベント等でやればよさそうですね。
Posted by よねりん at 2012年03月14日 09:32
コメントありがとうございます。
烽火リレー。すごくおもしろいイベントですよね。
ちなみに、神埼市でも20年ほど前に「烽火サミット」が行われていたようです。
よろしければこちらもご覧ください。
市長のブログ
『古代山城サミット(山鹿・菊池大会)に参加して』
http://www.city.kanzaki.saga.jp/blog/index.php?e=65
烽火リレー。すごくおもしろいイベントですよね。
ちなみに、神埼市でも20年ほど前に「烽火サミット」が行われていたようです。
よろしければこちらもご覧ください。
市長のブログ
『古代山城サミット(山鹿・菊池大会)に参加して』
http://www.city.kanzaki.saga.jp/blog/index.php?e=65
Posted by 神埼市デジタルミュージアム準備室
at 2012年03月16日 09:32

いやあ、神埼でも「烽火サミット」がおこなわれていたんですね。
佐賀平野は、広いので、鳥栖から鹿島まで、烽火は火事の危険があるので、電球でもいいので夏の節電イベントとして電気を暗くして、光のリレーをやれば、おもしろそうですね。
佐賀平野は、広いので、鳥栖から鹿島まで、烽火は火事の危険があるので、電球でもいいので夏の節電イベントとして電気を暗くして、光のリレーをやれば、おもしろそうですね。
Posted by よねりん at 2012年03月16日 13:26